2013年03月22日

長年のドリップ研究でわかった事。そのC

「コーヒーの文化研究」の表題は『ドリップ抽出における法則』です。本来はその基となる理論(仮説)があるわけですが、「理論」とすると日本ではあまり読んでもらえないかもと危惧したからです。勿論理論から法則へと出来る限り科学的な説明をしました。しかし科学的な検証を完璧に行なうには、まだまだ研究課題が山積されています。問題は「理論」というものに対する日本人の対応の仕方です。科学の世界においては「理論」はほぼ「仮説」です。無論私の理論も仮説であることは重々承知していますが、仮説というといかにも軽く受け止められてしまわないかと思ったわけです。
科学においては仮説が検証されると理論になります。仮説は星の数ほどあり、検証に値するかどうかは各自の判断によります。この判断がどうも日本人は不得手のようです。
科学の歴史は古代ギリシャの哲学にまでさかのぼります。人間のこと、自然界のこと、様々などうして?なぜ?にたいして説明を行なったのです。永い年月をかけ仮説の淘汰が行なわれ、17世紀の後半に入りかのニュートンによって物理学の基礎ができ、20世紀に入るとアインシュタイン等によって大きく科学が進歩を始めます。したがって私たち日本人の多くが信じている科学は高々ここ百年のことです。
一方世界にとって科学は文化そのものです。しかし日本では科学が入ってきたのは明治以降です。そこで学んだことは検証された科学の理論です。ですので検証されたものでないと科学とは理解しません。科学の進歩が理論(仮説)を基にしているということに関心がありませんし、その重要さ、意義に気付いていません。まだ日本には科学という文化は根付いていないのかもしれません。
posted by kakurenbou at 21:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 珈琲のいれ方ガイド | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック